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人生最悪の夜

医師から再手術を告げられ、錯乱状態で一睡もせず、朝を迎えることになります。

死んだらどうしよう....
足が曲がったままになったらどうしよう....
一生車いすになったらどうしよう....
麻酔が切れず一生目覚めなかったらどうしよう.....

そして、また経験しないといけない術後の痛みと苦しみ。

思うことはマイナスなことばかり。

2014年9月に知り合いがドイツのデュセルドルフで胸筋腫の手術中、切ってはいけない血管を切られてしまい医師のミスで意識の戻らぬまま亡くなりました。
知り合いは、手術ミスで命を取られ、私は足に大怪我し、同じ手術ミスで再手術を受けねばなりません。

罰だと思いました。

いろんなことを考えれば考えるほど、思えば思うほど、錯乱していきました。
一晩中、涙が溢れ、常に全身が震え、冷や汗が吹き出ていたそうです。
さらに窓に幻覚が見えはじめ、幻聴まで聞こえるようになっていました。
後から聞いた話ですが、ずっと「連れていかないで。許して。ごめんない。死にたくない」を繰り返していたそうです。

幻覚


この日の担当の看護師さんはまだ2年目の男性の方でした。
どうしていいかわからず、オロオロとするしかなかったと後日、ご本人がおっしゃってました。

仕事でストレスが溜まった時などに深くも考えず「もう死んでもいいねん。もう死にたいわ~」と言ってましたが、本当に死が身近にせまると、心から「死にたくない、まだ生きたい」と思いました。

朝、両親が病室にきてくれた時は、「ごめんなさい。ごめんなさい。」と言って抱きついて号泣してしまいました。

仲の良い別の病室のベテラン看護師さんがわざわざ来てくれて、
「骨がくっついてから、ネジを締めすぎているとわかったらまた一からやり直しですよ。
その時点でのやり直しになれば、足が一生曲がるかもしれない。今、わかってよかったやん。今やったら、まだ骨がついてないから何とでも修正できるやん。よかった、よかった」と言って喝を入れてくれました。

さらに、担当の看護師さんも手術室までずっと手を握ってくれていました。

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手術ミス・・・

「ちょっとネジを締めすぎまして・・・。
 もう一度、明日手術をやり直します。
 すみません・・・」

絶望



7時間にも及ぶ髄内釘を入れる手術を終え、ありえないぐらいの痛みに耐え続け、少し落ち着き始めた手術翌日の日が陰りはじめた頃、男前すぎる主治医が負のオーラ全開で私のベットに一人でやってきました。

最初、先生が何を言ってるのかわからず、意味が理解できませんでした。
言葉が出てこない、呆然となるというのはこういうことなんだと身を持って実感しました。

それも、言い方がとてつもなく暗い。。。

明るく「ちょっとネジを締めすぎまして。。。簡単な手術ですので安心してください」みたいな感じで言ってくれたらよかったのに、この世の終わりかっていうぐらいマイナスな感じ。
少し日が陰りはじめてもいたので、本当に怖くて先生が死神に見えました。

吉田「また、全身麻酔ですか?」
先生「全身麻酔です」

ということは今日の夕食以降、何も食べれず、何も飲めない。
また、あのとてつもない痛みと喉の渇き、術後の苦しみに耐えないといけない・・・
私に耐えれるだろうか。。。耐えるしかないと理解しつつも、耐える自信がなかった。

両親にも連絡がいったらしく、母から連絡あり、母も電話口で号泣していました。
涙が。涙が。。。自然と流れて、人生最悪の長い長い夜が始まりました。

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いよいよ手術!

2016年12月1日
いよいよ手術。

骨1 骨2
↑は手術後の画像です。

折れた脛骨(太い方の骨)の骨髄内をドリルで下から上まで貫通させ、髄内釘というチタンの棒を通し、骨と棒をチタン製のボルト6本で固定するのと、腓骨(細い方の骨)はプレートを骨に沿わせ、釘で固定しています。

そして、足関節の脱臼部分は、本来の位置に修復し、脛骨・腓骨とその間にある靭帯を串刺しのような形でスクリューで固定。
また、伸びた外側靭帯をはじめ複数の靭帯を縫い合わせる手術でした。

全身麻酔のため前日の夕食後から絶食。飲料も24時間前から絶飲でした。
当日は、全裸になり、いつも着用している病院着を掛けられただけの状態で病室のベットで待機。

ベットのままオペ室に運ばれ、手術台に寝かされます。

さすがに緊張!

酸素マスクや点滴を取り付けられ、先生から「今日は何の手術をするか答えてください」と言われ答える。
そして看護師さんから「好きな歌手はいますか?」と聞かれ、特に・・・と答えると「では、ミスチルでもかけておきますね」と言われBGMでミスチルが流れていたのを覚えています。

全身麻酔の液を点滴から注入され、一瞬で眠りに落ちました。

意識がある状態での初めての全身麻酔。
ちょっと麻酔に抵抗してみようと思いましたが、本当に一瞬で意識がなくなります。
ちなみにこの手術は、約7時間近くかかりました。

次に目覚めたのは、手術室のベットの上。
足にギプスが巻かれ、ベットからストレッチャーに移された時は、足が鉛のように重かったのを覚えています。
そして、ストレッチャーに乗せられ病室へ。

術後が本当に辛かった。
喉がカラカラで、お水を求めても術後6時間は飲料を飲めないらしく、カラカラ状態で耐えるしかない。

そして、麻酔が切れ始めるとありえないぐらいの激痛が足に襲ってきました。

絶対安静のため仰向けのまま全く動くこともできない。
手術中から仰向け状態が続いているため、腰と背中が辛く、地獄の時間でした。

本当に辛かったぁ。苦しかったぁ。

痛み止めを入れていただいてもなかなか効かず、寝ては起き、寝ては起きの繰り返し。
このような状態が朝まで続き、なんとか痛みのピークを乗り越えたと思った矢先、悲劇が起こりました・・・


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残念。。。手術が延期に・・・

最初の手術から1週間後、2回目の手術をする予定でした。
しかし、残念ながら足の腫れがひどく手術を断念することに。。。
さらに1週間様子を見て、腫れが少しでも引いておれば、手術をしましょうとのことでした。

断続的に続く痛みと痺れで、意識が混濁することも多い中で、手術の延期はかなりのショックでした。

寝返りは打てずに、ベットで仰向けのまま動けない状態。

結局、その後、別病院に転院してからも寝返りができない状態が半年以上続くことになります。
寝返りが打てないことは、本当につらかったです。
長時間、紙おむつを着用せざるをえず、また、仰向けの状態が続いたことから床ずれのような状態になり、腰や背中の痛みにも悩まされ続けることになります。

1回目の手術は、折れた骨が皮膚を突き破って外部に出ていたため、開放部分を閉じ、感染を防ぐための処置を応急的に行っただけのものです。
かかとから糸を通し、この糸で骨を牽引して、一時的にズレた骨を真っすぐ維持します。
かかと部分にはバネのようなものが入れられ、寝ているときもこのバネのようなものが足の中で動いているような感じがして、すごく気持ちが悪く、ものすごく痛い。
このような状態が、さらに1週間、続くかと思うと呆然としてしまいました。
それでも耐えるしかなく、1日何時間も壁をみて過ごす日々が再び始まりました。
この時の記憶は痛み以外ほとんどありません。

こうして痛い痛い1週間が過ぎ、ついに2回目のメインの手術の日を迎えることになります。

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最低な医師への不信感・・・

救命救急病院に運ばれた時、緊急手術をしてくれたのが30歳ぐらいのジャニーズも顔負けの男前すぎる整形外科医でした。
少し茶髪でふんわりパーマがかかり、王子様のような顔立ち。意識が朦朧とする中で、この医師が現れたときの衝撃は忘れられません。

切断にならず、足を残してくれたことには感謝します。
しかし、この男前の医師、とにかく最低野郎でした。
人として、医師として、疑う発言や行動が多く、その後ずっと苦しめられることになります。

lgi01a201404222000.jpg


とにかく愛想が悪い、笑わない、回診にほとんど来ない。。。そして暗い。この医師から負のオーラが常に出まくってます。
入院中、この医師が笑っていた記憶がありません。

たまに回診に来た時に質問しても、面倒くさそうな顔で「えっ!」というだけ。
どんどん不信感がつのっていき、この医師が近くに来たときは目を合わせないよういつも寝たふりをしていました。
救命救急病院で忙しい、疲れているのは理解できますが、患者さんへの対応に問題ありすぎます。

内科や脳神経外科などの先生たちは患者さんをいつも励ましてすごく感じが良く、羨ましいなぁと思っていました。

これから、手術ミス、カルテミス、手術放棄、きついギプスのまき直しを依頼しても放置などなど「ないわ~」という出来事が起こり続けます。

すごく仲良くなった看護師さんにこっそりと教えていただいたのですが、この医師はかなり性格に問題があるらしく、「あいつに患者さんと極力、しゃべらすな!」となっているそうです。

また、この病院での変な医者ランキングを看護師さんに聞くと、1位:この男前医師(私の主治医)、2位:私の副主治医、3位:整形外科部長。。。
なんと全員、整形外科。
この病院だけかもしれませんが、整形外科医って変わった人が多いんですよ!って看護師さんが笑ってました。

看護師さん情報では、この男前医師は、父親が大阪市内で整形クリニックを開業しているらしく、将来、父親のクリニックを継ぐ予定とのこと。
きっと開業医になったらめっちゃ愛想良くなるんやろうなぁ・・・

入院生活も長くなってくると看護師さんとめっちゃ仲良くなります。
周りに比べると、年が若いということもあり、消灯前の数分間は、ほぼ毎日、夜勤の看護師さんと女子トークに花が咲いてました。
看護師あるあるからお医者さんあるあるまで、お話できる範囲で別の機会に書いてみたいと思います。



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ベット生活の排せつ

今日は、お恥ずかしいですがベット生活での排せつについて書いてみたいと思います。

術後、しばらくベット固定なのでトイレに行くことはできません。
特に私は足の怪我のためトイレに行くなんて夢のまた夢・・・

という訳ですべてベットの上ですることになります。

尿は、尿道カテーテルが装着されているのでカテーテルを通って自動的に尿道から外に排出されます。
排出された尿は「透明なバック」に入り溜まっていきます。
ある程度溜まると看護師さんが、透明バックを取り替えてくださいます。

全身麻酔で意識を失っている間に尿道カテーテルは装着されます。
意識がもどり自分の体から尿の排出管が出ているのを見たときは、「なんやこれ?」とかなりびっくりしました。

人生初めての経験。
術後で混乱していたこともあり、最初は「トイレ行かんでええやん!!めっちゃ便利やん!!」と漠然と思ったのを覚えています。

男性は、陰茎の先っぽから尿道に挿入され、膀胱の中まで直接入ります。
女性は、膀胱に直接入れられます。

尿道カテーテル



尿道カテーテルは尿意を感じる間もなく、直接外に排出されるため、長い間、装着していると尿意に対する感覚が鈍り、カテーテルを外したあと気づかない間にベットで排尿してしまうことがあるそうで注意が必要とのことでした。

私は1週間ぐらいで抜いていただきました。その頃には、なんとか車いすでトイレに行くことができたので、ベット生活は免れました。
私は尿意の感覚が残っており、最初のトイレでも無事普通に済ませることができました。

皆さんカテーテルを抜く時はかなり痛いと書かれていますが、私はほとんど痛みはありませんでした。

トイレに自分で行けない方は、カテーテルを抜いた後もベットで尿瓶に排出するかおむつの中での排せつになります。
尿瓶も経験しましたが、尿意はあるものの寝たままの体勢では、尿が出てこずかなり困りました。
尿カテーテルと尿瓶の両方を経験してみて、個人的には尿カテーテルの方が安心できるのでいいと思いました。

次は、便についてです。
これがベット生活では最も大きな問題です。

術後しばらく、紙おむつを履かされ、看護師さんからおむつの中でしてください。あと綺麗に拭きますので安心してくださいと言われましたが、結局、できませんでした。
お腹ははってくるもののいざ、おむつでするとなると出てきません。
ガスばかりが溜まり、ますますお腹がはり苦しくなるといった悪循環。
ベット上に簡易オマルのようなものを置き、ベットの背中の角度をあげてするような形も試してみましたが、何をやってもおならが出るばかりで肝心の便は出てこず・・・

最終的には、ベットの横にオマルを用意していただき、そこで術後初めての便の排せつを行いました。

どんなに便通の良い方でも入院するとほぼ全員が便秘になるそうです。
便が3日でないと、心臓に負担がかかり体に良くないので下剤を渡されます。
私の病院の下剤は、ほんの少しの白い液体で、飲むときっちり5時間後に自然な形での便意を感じます。
普段から便秘がちな私は、この白い液体の威力に変に感動。
やっぱり病院の下剤は違うなぁと思ったことを覚えています。

排せつ問題がベット生活で最も大きな問題だと思います。
私自身、怪我をする前、入院生活を経験する前は、「手術した後や寝たきりになったら排せつはどうするんやろう??」と漠然と思っていました。
今日は私の実体験をそのまま書かせていただきました。


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看護師さんの使命

私が運ばれた大阪府T市にあるM救命救急センターは、男性看護師さんの割合がとても多く、約4割が男性です。
看護師さんというと女性のイメージが強く、私も最初は不思議な感じがしました。

救命救急センターは、一分一秒を争う緊迫した状況が多く、体力的、精神的に他の病院と比べて負担が大きいと思います。
その中でも看護師さんは男性・女性問わず本当に明るく、親切で、優しくて人として多くのことを学ばせていただきました。
救命救急センターで学びたい、経験を積みたいという意欲に燃えた若い看護師さんが多く、どの看護師さんもてきぱきとされていて必死で命と向き合っておられました。

三島救命救急センター


昼夜問わず、重篤な患者さんが運び込まれてきます。その対応に常に追われ、また、排せつの手伝いや処理など夜中でもあちこちの病室からひっきりなしに(多いときでは5分ぐらいの間隔)でナースコールが鳴ります。
特にベットから起きることができない患者さんが多いので、看護師さんが小便の手伝いや大便のおむつ換えなどをされます。
どんなに忙しい時でも、真夜中でもナースコールが鳴るとどの看護師さんも嫌な顔をせずにかけつけ、どんなわがままな患者さんにも優しく対応されていました。

仕事とはいえ、身内ならばまだしも他人の排せつのお世話ができるかというと私にはできません。
本当にすごいと思います。

入院中、忘れられない場面がありました。

2年目の男性看護師さんに向かっておじいちゃんが「おまえ、男性のくせになんで看護師なんかやってんねんや!!」とかなりえらそうに尋ねました。
そうすると若い男性看護師さんは、きっちりと背をただして「人のためになる仕事がしたかったから、命を助ける仕事をしたかったからです!」ときっぱりと答えました。
くってかかったおじいちゃんは何も言えず、シュンとしていました。

また、別の男性看護師さんは、脳卒中で寝たきり、口もきけず、体に麻痺の残る女性の患者さんに対し「僕が朝までついていますから大丈夫ですよ。安心してください。」といつも寝る前にささやきかけておられました。
この女性の患者さんは私の横のベットになることが多く、近くのベットだからこそこのささやきが聞くことができました。
この男性看護師さんは多くの人に聞かせるためではなく、本当にこの患者さんのためだけに毎晩、毎晩ささやき続けておられました。
後からわかったことですが、この患者さんは思春期の4人のお子さんがいるお母さんで、働きざかりの時に脳卒中で倒れられたそうです。

救命救急センターの看護師さんたちの命を助けるんだという使命感、患者さんに対する優しさ、包容力などに触れ大いに感動させられ、自分の生き方を考えるきっかけになりました。


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ICUから一般病棟へ

ICUで一週間過ごしたのち、一般病棟に移りました。

一般病棟
周りは三次救急(一刻を争う重篤な救急患者に対応する病院)に指定されている救命救急センターのためかなり重症な患者ばかりです。病室は、男女の区別なく、常にうめき声と叫び声が聞こえてきます。

整形の患者さんも重篤な方が多く、両足切断のおじさん、片足切断の19歳の青年、ガードレールにバイクでぶつかり全身骨折および歯を全部失った21歳の青年などテレビでしか見たことのないような重篤な怪我の方々が横で治療されてました。
私も一歩間違えば彼らのようになっていたのかもしれないと思うと怖さで気がおかしくなりそうでした。

両足切断のおじさんが15時になると病棟内を毎日車いすでリハビリされます。
すごく頑張ってらして、明るく看護師さんとも会話されてます。
しかし、両足を失くし、尿カテーテルをつけて病棟の廊下を車いすで移動される姿はあまりに痛々しく、本来であれば励まされたとか勇気をもらったとか書くべきところですが、実際はおじさんの姿を見ると怖くて、怖くて、ベットで震えていました。
私自身、全く心に余裕がない状態でした。
おじさんが頑張れば頑張るほど私は落ち込んでしまいました。

また、横のベットの事故で搬送された方が、お亡くなりになりました。
40歳ぐらいの男性の方は、ご両親がつききりで毎日看病されていましたが、夜中に容体が急変し、残念ながら旅立たれてしまいました。
ご両親の悲痛な泣き声は今でも忘れることができません。。。

入院中、もう一人、心筋梗塞で入院されていた方も旅立たれてしまいました。何回か会話をさせていただいたことのあるおじいさんでした。身近に死に直面しショックで心が折れる日々でした。
このような環境の中で自身の痛みと痺れで気を失いそうになりながら毎日、ベットで震えながら、泣きながら過ごしていました。

精密機械が多いことからテレビは禁止、携帯電話も禁止、売店もなく、1日何時間も壁を見ながら過ごしていました。
今までの人生を振り返るといっても何分もかかりません。何回も振り返りすぎて考えることもなくなってしまいました。

こうやって廃人になっていくのかなぁと漠然と思い、壁を見たまま気がつくと1時間ぐらい経っているということがよくありました。
この時は精神的にも身体的にも限界でした。

また、昼夜関係なく救急搬送される患者さんがICUから一般病棟に移ってくるため急に病室を移動させられたり、ベットの配置が変わったりと慌ただしいです。
私は1ケ月10日の間に7回病室を移動させられました。

今、振り返ってもよく過ごせたなぁとつくづく思います。



痛くて・・・痛くて・・・

1回目の手術を終えてから、この世のものとも思えない痛さと痺れが数日続きました。

とてつもなく痛い!とてつもなく痺れる!
骨の痛み、激しく損傷した筋・腱の痛み。

今まで経験したことのないような種類の痛みです。
痺れに関しても「痺れている」と表現するしかないのですが、正座をしていて痺れたという種類のものではありません。
うまく表現できないのですが、何万ものミニオンが足の中でワチャワチャと動き回り、いたずらをしているような感じ。
尋常ではない痛みと痺れが続き、地獄のような数日を過ごしました。

あまりの痛さに麻薬に匹敵する痛み止めを処方していただくことに。。。
薬の名前はわかりませんが、この痛み止めが体に注入されると約3秒で痛みが嘘のようになくなります。

また、現実と空想の世界が混濁してとても気持ちよく快楽の世界に入ってしまいます。
最初に薬を入れていただいた時、なぜか会社の営業のTくんの顔だけが100人ぐらい現れ、100人の顔と一緒に空をしばらく飛んでました。

先生は麻薬と同じで常習に陥ってしまう可能性があるので、あまり処方したくないとのことでした。
実際、私も痛いから痛み止めをお願いするのではなく、この薬が欲しいから、気持ちよくなりたいから薬をお願いするといったように本末転倒の状態になりかけてしまい、最終的には、この薬の処方はしていただけなくなりました。

約一週間、ICUでずっと仰向けのまま動けない、寝返りをうてないベット生活が続きました。
辛かったぁ。。。苦しかったぁ。。。今、思い出しても涙が出そうになります。

人生が激変

この10ケ月、決して「振り返れば早かった、あっという間だった」とは言いません。
辛くて、苦しくて、痛くて体と心の限界を超えても耐えて、耐えてここまできました。
あまりに受け入れないといけないこと、非現実的なことが多すぎて心のバランスを崩した時期もありました。
どん底に落ちた時に人間関係がわかると言いますが、力になってくれた人がいた一方で、人格を疑うようなことをする人もいました。

1日5時間を半年、本当によくリハビリをしました。泣きながらリハビリをしたこともありました。
10ケ月経た今、リハビリに関してはこれだけやったのに、ここまでしか回復できないのか・・・というのが正直なところです。

今も足は拘縮し、癒着が激しく、足の内側くるぶしの周りは固い石ころが埋められているような感じで、歩くだびに石ころが骨にあたり痛くて仕方ありません。
また、かかとは感覚がおかしくゴロゴロとしていて、網をかぶせられているような感じが取れません。
プレートやボルト部分はあたって痛く、足関節は骨と骨との隙き間の余裕がなく常にギシギシとしています。
24時間サイボーグの足との戦いです。

事故前は、仕事に明け暮れる日々。部署も任されいわゆる独身キャリアウーマン。
また、プライベートでは、スキューバダイビングやマラソンといったスポーツにも取り組み公私ともに充実した毎日を送る中、人生が激変する出来事が起こるなんて想像もしていませんでした。

事故は一瞬、そこから歩けるようになるまで半年かかりました。
歩けるようになりましたが、今もこれからも常に足の痛みと違和感と戦っていかねばなりません。

救命救急病院で1ケ月10日の入院を経て、大阪の某リハビリ病院で4ケ月半入院し、20名近い理学療法士さんや作業療法士さんに指導をいただきました。
やり方や考え方も個々の理学療法士さんで異なり、さまざまなアプローチをしていただきました。
これまでのリハビリで効果を感じれたもの、そうでなかったものを少しずつですが率直に綴っていきたいと思います。
少しでも骨・筋肉・腱の怪我でご苦労されている方の参考になれば幸いです。

プロフィール

吉田千賀子

Author:吉田千賀子
大阪在住のOL(現在、休職中)
原付バイクの事故により左足脛骨・腓骨の開放骨折(複雑骨折)、足関節脱臼、靭帯損傷の大けがを負う。
半年の入院後、事故から10ケ月で1日1万歩を歩けるようになりました。
事故の瞬間から手術、リハビリ内容等を記録として残すことにより怪我をされてご苦労されている方の少しでも参考になれば幸いです。プロフィール画像は神戸マラソンを完走した時のものです。また走ることができるようリハビリ頑張ります!

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